「マクベス」への長い旅①

2009/10/24
何をしたか、覚えていない。












2009/10/25
唐桑へ行く気分で、車を運転していたせいが、おどろくほど早く、上田に到着する。
ホテルにチェックインしてから、例によって、閑散とした商店街を歩き、駅前へ。
ドトールに入り、コーヒー。
上野が、奥さんと子供たちを連れて、来る。
少し話してから、隣の居酒屋へ。
ビールを呑んでから、焼酎となる。
先に、ボクは蕎麦を食べる。
歯が浮くほど冷たい。
そう言えば、随分前に、上田に来たとき、上野と彼の兄貴とうちの家族とで、蕎麦屋に入ったのだが、蕎麦の味よりも、その冷たさに驚いたことがあったけれども、きんきんに冷えた蕎麦と言うのが、やはり、ここでは、鉄則なんだろうか?
江戸の蕎麦は、こんなに冷えていない。
ま、冷たい方が美味いことは、美味いが、あんまり冷たいと、何だか、蕎麦を食べている気がしない。
歯が浮いて、舌がキーンと冷えた状態では、蕎麦の味が、ワカラナイ。
ボクなんかは、田舎の人たちのことは、判らないけれども、決まりとか、形とかに最近の若い人たちは、とらわれすぎているように思う。
スパゲティーにしても、芯が固いのを、アルデンテなどと言っているが、そんなものを、喜んで食べているのは、日本人だけで、本場、イタリアでは、大体、どこへ行っても、生パスタ。
つまり、手打ちうどんのようなものなのだ!
手打ちうどんに、芯が固いのは、ありえないように、スパゲティーにも、基本的には、アルデンテは、一般人としては、ありえない。
立ち食い蕎麦屋で、
「メン固めにね!」
なんて言う奴は、バカしかいないだろう。
うどん屋で言っても、それは、バカだ。
家で、お母さんに言ったら、
「アホ!」
と、言うことになるではないか!!
つまり、アルデンテなんてのは、「生煮え」であって、昔で言えば、「食えたもんじゃない」と言うことだ。
また、話が横道に逸れてしまったけれども、あまりにも、饒舌な上野から、一時も早く退散したいと思い、
「じゃ、まあ、そう言うことにしようかぁー」
と、生あくびをかみ殺して、言うのだけれけども、聞いてない。
「明日はどうするんですか?」
と、訊くから、
「明日? 明日は、長野だし、シネコンで、朝から、映画でも観ようと思ってるんだ」
「何の映画ですか」
「何とかの太陽」
「ああ、あれね! あれは、観る必要ないです!」
「どうして」
「どうしてもです! あんなのを監督が観る必要ないです!」
と、断定されてしまい、途方に暮れた。
そうか。
観る必要ないのか。
渡辺謙の映画なんだけどな!
と、思うが、何も言わずに、平気で、レモンハイのお替りをする上野を、尻目に、お茶を頼み、
「なあー、もう、帰ろうぜ!」
と、言うのだが、もちろん、聞いてはいない。
久しぶりの酒だったらしい。
おまけに映画の話をするのも久しぶりなんだろう。
酩酊に近いぐらい、酔っている。
「やはり、ボクは、自分への清算と言う意味でも、『鬼火』のような歌画を作りたいんですよね」
「主人公が死ぬ映画か」
「ええ。欝への清算ですかね」
「なるほど」
「監督は、次は」
「ボクは、しばらくはね」
「何だ。今年は、凄い勢いで作ってるから、あと、二三本は、いくんじゃないかと思ってました」
「今年?」
「ええ。五本ぐらい作るんじゃないかと」
「はは! そりゃあ、無理だよ」
「そうですか」
「無理だよ。もう今年は、ないよ」
「そうですか」
それでその話は、終わってしまったのだけれども、「無理」だと言いながら、ムクムクと、創作欲が沸いてきているのも事実だ。
しかし、体が、ついてこない。
やはり、無理だろうな、と自分に言う。
上野と別れて、ホテルに戻る。
何となく、テレビを点けて、お茶を入れて眺めていると、いい時間になってしまい、昨日もあまり寝てないので、そろそろ寝ようと、ベッドに入るが、寝付けない。
とうとう、朝になってしまい、下のレストランで、朝食をとる。
「無理だよ、無理」
まだ呟いている、自分がいる。