2009/10/14

事務所で『白夜』の、DVD用のインタビュー撮り。
色々と、この映画について話すが、まだ話したりない。
監督は、このぐらいの方がいいんだろうけど、完成して、何ヶ月も経つと、一際愛着が出てくるようで、それは、歳をとったと言うこともあるんだろうけど、ついつい、話好きになってしまう。
この映画については、色んな人のブログで、いちゃもんをつけられているようで、奥さんなんかは、腹を立てているが、読んでみると、ただの難癖で、話にもならない。
ただ、いちゃもんでも何でも、ないよりあるほうがマシなので、ま、せいぜい、自分の目で見てもらって、判断して欲しいと思う。
みんなに受け入れられるような映画と言うのも一度ぐらいは作ってみたいと思うけれども、そうでない映画も、作り続けないといけない。
顰蹙は、かうもの。
それでなんぼの商売だ。

『ワカラナイ』の試写が始まっていて、こちらの方も、どちらかと言うと男受けする映画ではないので、大多数の男からは、またボロクソの攻撃があるんだろう。
それはいいのだけれども、映画にリアリティーがないと言う意見は、いただけない。
現実は、こんなもんじゃない。
亮のような少年は、地方には、沢山いる。
それは、今に始まったことではないのだ。
かつて、地方が、共同体として機能していたころは、まだ助け合いの精神が残っていたけれども、都会的な、似非個人主義が地方にも浸透した今、隣人が餓死していても気付くことはない。
「知らぬが仏」
と言うわけだ。
映画の中の大人たちが冷たすぎると言う意見もあるが、それでは、あなたは、他人の心をおもんばかる善人なののかと言うとそんなことはなく、例え、葬儀屋であっても、商売にならないと判れば、逃げ出すものだ。
看護婦さんにしても、病院の経理担当者にしても同様で、組織の一員と言うものに、人間性を説いても、無意味なものだろう。
この映画の中で、唯一、温情らしきものが感じられるのは、コンビニの店長だが、彼は彼で、安く使える後釜が出来たことで、それらしく見えるだけで、実際は、冷酷な男だろう。
この映画で、主人公の亮は、離婚した父のもとに走るが、そんな一抹の希望もない少年たちが沢山いるのだ。
彼らは、孤独をひとりかみ締めながら、犯罪にも奔らず、懸命に生きている。
そんな少年少女たちが、この映画を観てくれたらいいなと思うが、人も、映画も、出逢いである以上、偶然に期待するしかない。

昼間に、「尾張屋」で、一杯やったので、事務所を出て、「ちょっと一杯」はなしで、帰宅。
ビールも一缶をもてあます。
幸い、何本かの映画も完成し、数ヶ月が経ち、「死にたい」とは、思わなくなってきたけれども、その分、気力体力の衰えを感じるようになった。
今夜は、「エネルギー」を聴こう!