「考えない」子供たちと、「ワカラナイ」

2009/10/05
今日は、雨。
昨日は、早めに眠れるかと思ったら、朝まで起きてしまい、またもや昼夜が逆転してしまった。
トーストパンを食べて、テレビを見て、中川昭一さんのニュースとかワイドショーを見て、それから寝た。
「ああ、可哀想だなあ」
と、思う。
心から、冥福を祈りたい。
ついでと言っては何なのだけれども、ダラーッと呆けた顔で、中川さんの後のコーナーを見ていたら、飛行場の問題が出て来て、静岡空港に土地を売った人が出て来て、
「馬鹿なことを」
と、嘆いていた。
断腸の思いで手放したのに、利用客はなく、JALも来年には、就航を打ち切るとか。
アホなレポーターが、
「先祖代々の土地を手放されて、どんなお気持ちですか?」
とか聞かれて、
「うん。そう言う湿った話はいいんで」
と、言い返されていた。
馬鹿なレポーターがいたもんだとも思ったけれども、
「ああ、これも〈食い扶持〉か」
と、ため息。

少し、寝て、起きる。
いや、随分寝たのだろう。
オリンピックの誘致に関してのことは、散々テレビや新聞で取りざたされているので、わざわざ書くこともないだろうと思う。
別に、ボクの意見など、知りたいとも思わないだろうしね。
でも、IOC総会の中継番組に関しては、ボクなりに、とても楽しめたので、いつか、このブログでまとめたいと思っているけれども、録画して見ていたわけではないので、思い出せることしか書けないし、書くころには、色あせてしまうかも知れないので、結局、書かないかも知れない。
だから、今、少しだけ。
石原さんは、帰国後、窮地に立たされているけれども、150億も使ってしまい、選手村は、別で、既に、750億とか。
もし、実現したら、4000億かかると云う。
実現しないで良かったと単純に思うことは、ないけれども、クリーンだとか子供たちへの夢だとか、綺麗事を並べているのは、あまり好きではない。
「面白いオリンピックをやりましょう!」
で、いいのだ。
ただでさえ、規制ばかりで、ボクも含めて、息も出来ない。
いや、タバコも吸えない。
『ブロードウェイのダニーローズ』のことは、何度も書いたけれども、また書くと、ハドソン川の船上で、ダニーローズ(ウディアレン)が、突然、死にそうになる。
「どうしたの?」
と、女優が訊くと、
「ボクは、二酸化炭素で息してるから、こう云うところでは、息苦しくなるんだ! 早く、排気ガスのマンハッタンに連れて行ってくれ!!」
なんて、洒落た台詞が飛び出す。
クリーンも誰かの、経費削減であって、路上のごみ掃除の人たちが、すっかり姿を消してしまったのも、都なり、国なりの、リストラの産物であり、では、その金がどこへ行っているのかと、市民に還元されることもなく、インフラなど談合の世界にばら撒かれていく。
それが、55年体制の弊害だったわけだ。
大体、オリンピック誘致のための使ったお金を見ても、途方に暮れる金額で、想像もつかない。
これも、また、誰かの〈食い扶持〉が起因して起こっていることなんだろう。
いずれにしても、負けた人を責め立てるのは、江戸っ子の名がすたるので、ほどほどにしたいが、都知事に関しては、公人なのだし、とりあえず、都税を払っている一市民としては、残りの一年半を待たずに、猪瀬さんも含めて、引退してほしいものだ。

各省庁の記者クラブ廃止のことも、気に掛かる。
亀井さんのことは、良くわからないけれども、記者クラブを固持するマスコミとの記者会見の後、大臣室で、改めて、フリーの人たちとの懇親会的な、私的記者会見を開いたらしい。
ここにもまた、〈食い扶持〉が潜んでいて、政権が代わっても、サロン的な特権階級のマスコミが、自民党との癒着の55年体制の幻想の中でしか未だに生きてないと云うことだ。
ロカルノで、ある新聞の文芸部の人と話をしていて、
「どうして、政治記者って云うのは、政治家に突っ込んだ質問をしないの?」
と、訊いたら、
「その事は、政治部の記者と話したんですが、なれあいなんですよね」
と云う。
記者クラブって云うのは、政治家との談合の世界なんですよね」
と。
「ああ、映画の世界と一緒だな」
と、思った。
かつて、テレビを指して、大宅壮一松本清張らの「一億総白痴化」と云う言葉が、50年代にあったけれども、先進国の中で、日本こそ、それに成功した国はないと思う。
富裕層は、常に、安い賃金で、人材を確保する必要がある。
つまり、体の云い、奴隷だ。
奴隷が、
「私は、奴隷だ」
と気付かせないために、白痴にする。
鞭は振るわず、飴ばかり与える。
マンガがあって、テレビがあって、ゲームがある。
考えさせない映画がはびこっているのも、そんなところなのかも知れない。
しかし、その歪みが、既に起こっていることに、そろそろボクらは、気付かなくてはいけないだろう。
生まれながらに「考えない」子供が出来たのはいいのだが、それでは、そんな子供たちが、国家の奴隷になる得るのかと云うと、そんなことはなく、「ひきこもり」となったり、「犯罪」にはしったりする。
つまり、飴ばかり食べていたので、夢も持てず、労働意欲もない。
だから税金も払えない。
それが、今なんじゃないかなと思う。
「教育だよ、教育!」
と、深夜に叫んでみるが、届かない。
生まれながらに「考えない」子供たちに、「少しは考えろ!」と叱ったところで、考えると云うことを知らない子供たちは、戸惑うだけだ。
かつて、国策映画と云うものがあったけれども、今の大衆映画と云うものも、そんなかつての国策映画の流れをくんでいるように思う。
戦気高揚が姿を変えただけ。
いずれも「考えさせない」がテーマだ。
「あー、また、ぼやいちゃったなぁー」
と、ため息。

『ワカラナイ』は、文部省選定から外れたのだけれども、子供たちやPTAに観て欲しい映画なので、残念だ。
なぜ外れたのかの理由は、知らされなかったけれども、明らかに、誰かにとって、「都合の悪い映画」と云う事なんだと思う。
で、なければ、選定委員の人たちには、ワカラナイのか。
そろそろ、朝だから一杯呑んで、寝ることにしよう。