明日から 「釜山映画祭」行き。

2009/10/08
10日に、『ワカラナイ』。
11日に、『白夜』の上映。
それぞれ終わってからQ&Aがある。
釜山映画祭に行くのは初めてのことで、愉しみにしている。
プチョンだったか、チョンジュだったかに審査員で行ったときは、毎朝ホテルの朝食で、白濁したスープ(名前は忘れたけど)と、ご飯を食べていて、これが滅法美味く、食事のことが愉しみだった。
逆に言えば、愉しみはそれぐらいで、あとは映画を観るだけ。
ロカルノと同じように、毎日二本の映画を観ていた。
好みで映画を観るのだったら、何本観てもいいのだが、審査員となるとそうはいかず、あまり好きではない映画も観なくてはならない。
それが、苦痛でもあった。
素晴らしい映画との出会いなんてものは、やはり、偶然がもたらしてくれるものだ。
「この映画をどうしても、世界中の人たちに観てもらいたいものだ!」
と思えるような映画は、審査する映画とは別に、ふらりと入った映画館とか、ホテルで何気なしに流れていた映画とか、映画祭のライブラリーとかにあるDVDで時間つぶしで観て、出会うことが多い。
その時は、河瀬直美さんのドキュメンタリーをDVDで観て、何だか、ひどく感動してしまい、審査する映画が、みんなつまらなく思えた。
今回は、作品を出品する側だから、立ち会うだけでいいので気が楽だ。
来月も、初めての映画祭に行く。
スペインのGIJONと言う町の映画祭。
サン・セバスチャン映画祭は、広く知られているが、GIJONは、ボクも知らなかった映画祭だ。
こう書いて、ヒホンと読むらしい。
スペインでは、知れた映画祭らしい。
ツァイミンリャンが来るみたいだから、久しぶりに彼の顔を見るのが楽しみだ。
彼とは、一時期、あちこちの映画祭で顔を合わせた。
キムキドクもそうだった。
でも、最近は、みんな偉くなってしまい、ちょっとやそっとの映画祭では、会えない。
みんなそうなっていくのだろう。
少し、寂しい気がする。
スペインでは、あちこちの映画祭にボクの過去の映画が掛かっている。
なのに、行った事は一度しかなくて、それがカナリア諸島で開かれているラスパルマス映画祭。
編集のKさんと一緒に行ったのだけれども、ホテルと寿司屋のことしか覚えていない。
上映に立ち会ったかどうかも定かではないんだから、ひどいものだ。
もっとも、みんな忘れていくのは、映画祭に限ったことではない。加齢が原因で、仕方がないことだ。
だからブログを書いたり、手帳に日記を書いたりしているのだけれども、その日記ですら、忘れて、何日か分をまとめて書くことになり、昨日のことが思い出せず、うんうんと唸ったりしているんだから、困ったものだ。
スペイン語圏では、アルゼンチンでも、掛かった。
ラテン系の国の映画祭には、他にはない独特の陽気さがある。
だから、最初は、ボクの映画なんか、全然受けないんじゃないかと思っていたが、上映に立ち会って、全然そんなことはないと知った。
中欧の国々と同じように、プログラムは、地味な映画が多い。
つまり、シリアスな映画祭なのだ。
ウディ・アレンの映画に、ハリウッドのスターがこぞって出たがるのは、インテリ層の支持が欲しいからだと誰かが言っていたけれども、映画の場合は、それだけでもなく、その監督の作品が好きだからと言うこともあるだろうけれども、映画祭となると別だ。
映画祭は、ほとんどが、その国、その町のインテリ層で構成された、インテリたちに向けてのものだ。
スノッブによる、スノッブのための映画祭と言い換えてもいい。
ファンタスティック映画祭などは、それに反発して出来たものらしいが、インテリ層に向けたものでない分、イベント色が強くお祭りめいている。
ハリウッドスターが、アゴアシだけで、映画祭の審査員とかに来るのも、やはり、インテリ層の支持が欲しいからに違いない。
その点、東京国際映画祭や、今や、アカデミー賞への登竜門的な位置づけとなって、脚光を浴びているモントリオール映画祭などは、中途半端な感は否めない。
日本では、東京フィルメックスが、ヨーロッパの映画祭に近いが、地方都市で行えば、もっとすばらしいものになっていただろう。
しかし、そうは言っても、東京以外の、特に地方都市と呼ばれる所で、映画文化を根付かせるのは、至難の業だ。
成功しているのは、山形のドキュメンタリー映画際ぐらいのもの。
10億円規模の映画祭でないと、世界の国際映画祭として、アピールが出来ないと言うことはあるが、どの国の映画祭も、最初から、それだけの予算があったのかと言うとそうではなく、小さい規模で、成功させたから、国や企業が、助成するようになったのだ。
しかしこの成功と言うのが、映画の興行のように、客が入ればいいと言うものではなくて、インテリ層の支持をとりつけなければ成功とは言えない。
「無理かな」
と、思う。
「到底、日本では、無理だろうな」
と、悲観的になる。
ある業界紙のHPで、記者のブログに、『白夜』のことが書かれていた。
この映画の海外でのプレミア上映は、釜山国際映画祭だ。
しかも、国内での公開後。
ブログでは、そのことが取り上げられていて、今までのボクの映画とは、また違った展開となっていると、好意的に書かれてあった。
しかしボクは、このブログを、読んで、
「うーん。そうなのか」
と、唸った。
映画を作るとき、これは、映画祭向きの企画かどうかと言うことを、いやおうなく考える。
しかし、『白夜』の場合は、それとはちがっていて、ある程度の興行的成功を狙っていた。
製作委員会なるものの目的は、そこにしかないからだ。
では、俳優の側は、どうかと言うと、もちろん、興行的に成功して欲しい気持ちは大いにあるが、多忙な俳優が、それでも、時間を割いて、映画の撮影に取り組むと言うのは、新しい層の開拓と言うのがあってのことで、そこには、海外の映画祭出品と言うのがどうしても、必要になってくる。
『白夜』は、こうしたジレンマを抱えた映画だ。
釜山からどんな広がりが出て来るのか、それはワカラナイことだけれども、お客さんの反応が、とても楽しみだ。

台風、一過。
ようやく雨があがり、気温も、少しだが、上がったようだ。
とは言え、外に出る気はせずに、終日、家でごろごろしている。