2009/10/03


ブレッソン監督の『白夜』を、久しく観ていない。
他のブレッソン監督の作品は、ほとんどDVDで観ることが出来るのだけれども、『白夜』だけは、ないようだ。
パリに行った時も、探したのだけれども、見つからなかった。
ボクが、この映画を観たのは、もう、それこそ、30年近くか、それ以上前ではないだろうか?
ボクが、日仏学院に通っていた頃だから、確か、その頃だ。
岩波ホールだったように思う。
フランス映画社の名シリーズBest film of the world の一本だったか?
あんまり昔のことで、思い出せないが、それ以降、名画座とか日仏学院のホールとかで、何度か観て、学院の図書館で、シナリオも手に入れて、これまた辞書を引き引き何度か、読んだことがあった。
でも、それ以降、この映画は、世の中から、忽然と姿を消してしまい、ボクの幻想の中でだけしか生き続けていない。
もっとも、ボクには、十年ほどの、映画を観ていない時期があったので、そのブランクの時期に、上映されていたのかも知れない。ビデオにもなっていたのかも知れない。
『白夜』は、ブレッソン監督の中では、比較的、見やすい映画だ。
それ以前だったか、それ以降だったか、『ラルジャン』が公開になり、これまた岩波ホールに観に行った。
二度ほど行ったと思うけれども、二度とも、訳がわからず出て来た覚えがある。
旅芸人の記録』も同様。
何度観ても、寝てしまい、「バーン!」と言う銃声の音で、目が覚めて、また、しばし画面を観ているが、また寝てしまう。
アート系映画と言うのがあるらしいが、どこからどこまでがアート系なのか判らない。
いずれにしても、きっと、ブレッソン監督やアンゲロプロス監督の映画は、アート系としてくくられるのだろう。
そのアート系映画が、全盛だったころいわゆるミニシアターや、名画座は、いつでもどこでも、満員で、立ち見が出るほどで、何度目かの『旅芸人の記録』を今はなくなってしまった、飯田橋の佳作座で観た時は、通路にまで、人が座っていた。
そこでも、ボクは、また、うとうとしていた。
仕事で、疲れ果て、ようやく駆け付けた映画館の椅子に腰を下ろすなり、冷房もあってか、眠りこけてしまったのだ。
映画が終わって、
「素晴らしい映画ね」
と、一緒に行った人に言われても、何も答えらずにいた。
そう言う人に、
「やっぱり、『ロンゲストヤード』の方がいいんじゃないですかね!」
なんて言えない。
「口直しに、『北国の帝王』観ましょうよ! 新宿ローヤルでやってるから!」
なんて言えない。
ブレッソンアンゲロプロスとは、全くタイプの違った映画監督だと思うが(それぞれ特異な個性があるということ)、寝てしまうという点では、共通したものがあった。
ギリシャでは、寝ない子には、アンゲロプロスを見せろ」と言うジョークがあるようだけれども、「眠れる映画ってのは、いい映画なんだ」と、言う人がいたりして、なるほどと思ったりしていた。
それまでの映画は、なかなか、眠くても眠れないものだった。
つまり、おしつけがましくないということだ。
退屈と言うのとは違う。
不眠症に悩む、トラヴィスなんかには、エロ映画なんか見せずに、『旅芸人の記録』を見せるべきだったろうな。
ブレッソン監督の『白夜』に話を戻すと、前にも書いたように、ずっとボクの幻想の中にあったのだけれども、32の時に、母親を亡くし、その直後に、ボクは、憑かれたように、『白夜』を書いた。
幻想の中にあったブレッソン監督の『白夜』を、ボクの『白夜』として、再構築してみようと思ったのだ。
パリでボクが途方に暮れていたとき、母親から、何通かの手紙が届いた。
それを読んで、ボクは、随分と励まされたものだった。
帰国して、二年後に、癌の手術を受けた。
そして、次の年に、再手術。
しかし、既に手遅れの状態で、医師の言葉通り、きっかり半年後に、母は、亡くなった。
実際の自制を置き換えて、書いてみようと思った。ならば、書ける気がした。
最初のタイトルは、『白夜 あるいは、愛人であるということ』と言うもので、女性が主人公ではあったものの、ボクは、男の方に感情移入していて、母親のことを立夫が話すくだりなんかは、涙がとまらなくて、困ったものだった。
書きあげて、読み返すごとに、そのシーンになってくると、やはり涙が溢れた。
亡くなった母親のことは、映画の中で、繰り返し語ってきた。
『CLOSING TIME』では、北村一輝演じるホームレスの男に語らせ、『歩く、人』では、香川照之や、今は亡き緒形拳さんに語らせた。
特に、緒形拳さんには、ボクの親父の役を演じていただいたので、私情が入ってしまい、親父のようらに反撥した。
この映画の台詞は、実際にボクと親父、そして、弟と交わした会話、そのままだったし、香川照之の母親についての台詞も、ボクと母親が交わした会話をそのまま、使った。
そして、『白夜』だ。
眞木大輔が、何かの対談で、どのシーンが一番好きかと訊かれて、母親のことを話すシーンが一番好きだと言っていて、とても嬉しかった。
ボクは、照れくさくて、そんなことは、言えなかった。「やはり、長いキスシーンですかねえ」などと言って、お茶を濁した。
でも、確かに、(これは、ボクだけのことなので、こんなことを、書くのは、余計なことなのかもしれないけれども)あのシーンの撮影中、ボクは、ヘッドホンで、二人の会話を聞きながら、涙を流してしまった。
ことさらに離れて、望遠で二人を捉えたのも、ハンディーカメラの極端なブレも、ボクの照れ隠しでもあった。
『ワカラナイ』でボクは、ついに母親を自分の手で葬ったのだけれども、それは多分、親父が、死んだからできたことだろう。
ボクと親父は、最後まで反りが合わなかったけれども、それが、ボクの母親を挟んでのことだったのかも知れないと、今は、思う。
天真爛漫としか、言いようのない人だった。