「ロカルノ映画祭」のこと9

カンヌにしても、ロカルノにしても、映画祭と言うのには、色々とキャラクターは、あるけれども、はっきりしていることは、どの映画祭も、監督への敬意に満ちていると言うことだ。
監督への敬意に満ちていると言うことは、映画を制作したスタッフに対しても、同じ気持ちがあるということ。
だから、気持ちが良い。
最初は、どうしようか迷い、不安になったりするのだが、行ってみると、そうではなくなってしまう。
もちろん、コンペの場合は、いやおうなく、賞のことが頭にちらつき、周囲もそんな目で見るので、落ち着かないときもある。
出来れば毎年、カンヌなりロカルノなりに映画を出品したいと思うが、そんなことは、なかなか出来るものじゃない。
いや、出来やしない。
おくりびと』で一躍話題になったモントリオール映画祭で、(ボクは出品したことがないのでわからないのだが)今年、根岸吉太郎監督が監督賞を獲ったけれども、もっともっと国内で、評価されていいのではないか?
映画は、本来、スポーツ競技と違って、賞云々は、あまり意味がないと思う。
ただ、その映画にかかわったスタッフ・キャストの、モチベーションが上がることは確かで、責任も生まれ、次の映画への意気込みも違ってくる。

春との旅』と言う映画を、作ったのだけれども、ロケ先で出会う人出会う人に、『おりくびと』のことを、いやと言うほど聞かされた。
「『おくりびと』は、アメリカ、アカデミー賞ですからね。もう、アカデミー賞は要らない。だから、カンヌで、パルムドール! これで、行きましょう!!」
一般の人の言葉だから、
「はいはい」
と、聞いていたけれども、
「馬鹿にすんな!」
と、叫びたい気分だった。
日本の映画監督ほど、リスペクトされない職業はないのではないかと思ってしまう。
御用監督ばかりが大根の叩き売りのようにはびこっているので、そんな口の利き方を平気でする。挙句には、スタッフまでが、似たようなことを言う。
「映画は、監督が作っているんですよ?!」
そんな言葉も、今は空しい。
ロカルノの最後の夜に、数日前からこちに来ていた、T・JのKと、M新聞のKとボクの家族とで、夕飯をとった。
その後、ボートに乗った。
夜のマッジョレー湖をゆっくりと旋回するボートで呑む酒は、なかなかのもので、二年前は、ここで、渡辺真起子さんと、祝杯を挙げたものだった。
「こんな気分を味わえるのも、これからの人生に、そうはないにちがいないな…」
そう呟いたボクは、
「いやいや、また来年も」
と、続ける。
また、夢が出来た。