『白夜』初日を迎えて

2009/09/19

今年の一月、降って湧いたような仕事をした。
それは、既に、『ワカラナイ』が製作に入り、無事、撮影が終了。
いよいよ、編集となった時ぐらいから、話が始まった。
EXILEのマキダイが、映画に出るという。
既に、スケジュールはおさえていて、後は企画だという。
普通、企画があって、シナリオにおこし、それからキャスティングということになるのだけれども、どうやら今回は、マキダイありきの話のようだ。
プロデューサーのS氏から、以前読ませた『白夜』を、マキダイに読ませたいと言う。
「どうだろう」
と、言うので、面くらい、
「どうって言われても、あれ、やるだろうか」
「それは、判らないけどさ、とにかく出してみようよ」
断わる理由はない。
『白夜』の企画は、20数年前に初稿を書き、ずっと大事にしていたものだ。
随分と沢山の人に読んでもらったが、なかなか実現しない、企画でもあった。
いつからだろう。
これは、無理だろうなと、半ばあきらめ、何冊目かの印刷台本も、事務所のもの入れに入れっぱなしで、読み返すこともなくなっていた。
だから、『ワカラナイ』の編集をしながら、『白夜』の台本を読み返す毎日が始まった。
返事は、なかなか来なかった。
『ワカラナイ』の編集は、金子さんの方で難航し、ようやく、ボクの方に回ってきた。
おまけにその頃から、これもまた降って湧いた話なのだが、ある企画が現実味を帯びてきて、そちらの打ち合わせも、そろそろ始まっていた。
その企画の方の台本も、既にあることはあるのだけれども、まだまだ満足のいくものではなかった。
こちらは、丸八年、シナリオ作りに取り掛かっている。
その企画と言うのは、『春との旅』と言うタイトルのもので、撮影は、2009年の四月を予定していた。
仲代達矢氏が、出演するもので、その時点(2008年10月)では、まだ、仲代氏しか決まっていない。こちらの方は、制作もするので、スタッフも集めなくては、ならない。
しかし、『白夜』にしても、『春との旅』にしても、自主制作で作れる規模のものではなく、そうなると、制作費の捻出が要になってくる。
しかし、制作費と言うものは、事前に全て出るものでもなく、撮影直前になって、「やはり駄目でした」なんてこともあるので、身動きが出来なくなっていく。
小さなプロダクションは、制作がひとつでも飛んだら、それで、おしまい。
借金を抱えて、潰れる。
だから、慎重にならざるを得ないのだけれども、慎重になれば、それはそれで、制作は進まず、結果、クランクインが出来なくなるか、インしても、間に合わせの制作体制になってしまい、スタッフともキャストとも、意思疎通が図れないまま、撮影に入るということになる。
そんな中で、12月を迎えた。
『ワカラナイ』の初号が完成。
ようやく、ほっとしたのも束の間、休む暇もなく、『春との旅』の第一次、宮城ロケハン。
そして、第一次北海道ロケハンが始まった。
一方、一月に入ると決まっていながら、『白夜』は、なかなか進まない。
こちらは、監督だけで入ればいいので、流れたら、流れたで仕方ないで済むのだが、メンタルな部分では、そうはいかない。
今、流れたら、立ち直れないかも知れない。『春との旅』にも、影響が出て来る。
だから、何としても、実現しなくてはならない。
そんなハラハラした状態で、『白夜』のもうとりの主役、吉瀬美智子さんが決まった。
もう、12月も中盤。全くといっていいほど、時間がない。
幸い、ロケ地のリヨンには、毎年のように行っていて、ほとんど撮影場所は、ボクの中では決まっていた。
資料もそろっている。
インの数日前に乗り込んで、ロケハンすれば、何とかなる。
クリスマス前に、短いロケハンをして、帰国。
正月休みを返上して、衣装関係の打ち合わせなどをした。
クランクインは、ボクの誕生日の、一月六日。
しかし、誰一人、そのことを祝ってくれる人はいなかった。
だから、リヨンのアパートメントホテルの部屋で、ひとり赤ワインで、窓の外の町並みをながめて、乾杯をした。

新宿武蔵野館での舞台挨拶。
マキダイは、眞木大輔として、立夫を演じ、吉瀬美智子は、朋子を演じた『白夜』がいよいよ、初日を迎えた。
その間に、『春との旅』の撮影があり、そちらの方も、とどこおりなく、終了した。
晴れた気持ちでの、初日であるはずだったが、もひとつしっくり来ないのは、『ワカラナイ』の初日が出たことにある。
こちらの方は、11月14日。
二ヶ月を割っている。
そのことが頭から離れず、劇場に行く足取りも重かった。
それでも、眞木さんと吉瀬さんに会ったら、そんな気分は、吹き飛んでしまい、何とか、楽しく、舞台挨拶を終えることが出来た。
製作委員会の仕切りで、映画の初日を祝い、パーティー
その後、スタッフ全員と乾杯といきたかったところだけれども、そうもいかず、撮影の伊藤くんと助監督の下田の三人で、ビールを飲んで、解散した。