「ロカルノ映画祭」のこと2

2009/08/06

7時過ぎに起きて、階下のレストランで、朝食。
優斗がいる。
「おはようございます!」
と、緊張した声。
「どう? 眠れた?」
「はい!」
しかし明らかに、それほど寝てないのはみてとれる。
目が幾分充血している。
無理もない。
まだ高校生。
それが、いきなり、映画の主役で、外国の映画祭に招待されたのだ。
「楽にいこうな」
「はい!」
「もっとリラックスしてさ」
「はい!」
コチコチだ。
「よし。じゃ、メシにしようぜ」
「はい!」
コチコチになって、料理を取りにいく。

ボクは、いつものように持参した「サトウのごはん」を温めてもらい、スクランブルエッグとベーコンに、これもまた持参の醤油をかけて食べる。
しかし、ボーイの早がってんで、「サトウのごはん」をスチームレンジで温めてしまったものだから、餅のようになつてしまい、フォークで刺すと、ごはんがひと塊りになつてしまう。
明日からは、「スチームなしで!」と、言わないといけないなと自分に言い、とりあえず腹におさめる。
普段は、朝食は食べないと言う優斗も、この日は、朝食を食べている。

少し、肝がすわってきたのだろう。
「へえー、こう言うのもなかなか良いもんだなあ」
とでも思い始めているのかも知れない。

一旦部屋に戻り、少し休んで、車の迎えの来るころに、下に降りる。
写真撮影の場所へ。
優斗とボクで、フォトセッション。
いろいろポーズをつけられて、いよいよだなと、思う。
優斗も、再び、固い顔をして、何か、二枚目スターのように、カメラを睨み付けている。
「その調子、その調子」
と、内緒で言って、まだ被写体になっている、優斗を眺める。

イタリアのテレビのインタビューが急遽入り、その撮影も終えて、丘の下の記者会見場へ。
ボクらの写真撮影の後に、高畑勲監督の写真撮影があり、階段ですれ違う。
何やら、緊張している様子。
顔見知りでもないのに、お声を掛けようとして、寸前で、正気に戻る。
いやいや、そんなことをしている場合ではない。

記者会見には、いつもの顔が並んでいる。
ベルリン映画祭のグレゴリーさんの顔も見える。
ルグローはいないのかなと客席を見回すが、その姿はない。
ルグローと言うのは、以前、メルキュールディストルビューションと会社を営んでいた、ジャック・ル・グロー氏のことだ。
一昨年ここロカルノで会った時は、糖尿の話で、随分と盛り上がった。
彼は、かなり重度の糖尿病で、何でも、動脈瘤がみつかり、大手術の末に、血管を丸ごとパイプのようなものに入れたと言うが、そんなことができるのか!と、驚いたものだった。それでも、ルグローは、いつものように元気で、パカパカとワインを飲んでいた。
オルガニックのワインてのがいいんだよ、と言っていた。
こんなワインは、クソみたいなもんだなと、新たにレストランで、お替りのボトルを注文していた。
ル・グローと会ったのは、『海賊版=BOOTLEGFILM』がカンヌにかかった時で、彼の会社が、ボクの映画のワールドセールスを引き受けてくれたのが縁だ。
しかし、何もしてくれず、映画は、どこにも売れない。
「あの人は最低!」
と、奥さんは、随分と怒っていたが、ボクは、何だか、ル・グローの人柄に惚れてしまい、「まあまあ」などとなだめたものだ。
そのうち、会社はつぶれてしまった。
今は、また一プロデューサーに戻り、年に一本ぐらいは、映画を作っていると言う。
「もう、あんな暮らしは出来ないよ」
と言っていた。
「プロデューサーで、年に一本ぐらい映画を作る。それが精一杯だ。それに、俺は、今、自伝の執筆中さ。カンヌ映画祭の時は、バーもやってるしな。年金もたっぷり入るし、引退したようなもんだ」
気楽に、映画のプロデューサーをやってるというのが、腑に落ちない。
きっと日本のプロデューサーのように金集めに奔走する必要がないのだろう。フランスには、CNCと言う国の機関がある。そこと、テレビ局がつけば、映画は作れる。
何だか、うらやましい気がしたものだった。
本来、そうあるべきだが、日本のインディーズは、そうはいかない。
中身の前に、金集めだ。
アメリカを見習うからそうなる。
アメリカと、日本では、資本力は、何千倍も違うのにだ!
そこから、苦し紛れに、ずるく、賢く、うまく立ち回るやつ等が、溢れてくる。
人間不信の始まりだ。
映画作りは、そもそも、流行の言葉で言えば、「友愛」の精神から始まったことなのに、「友愛」もへったくれもなくて、拝金主義にはしり、あげくに、人間不信の精神病にかかり、「死んだほうがマシだ」などと言う結論に至ってしまう。
自殺や、自殺未遂は、枚挙にいとまない。
そう言う悲劇は、黒澤明監督の例を出さなくても、判っているはずなのに、なかなかな、『ワカラナイ』。

高田渡氏の歌に、
「権利なんぞを欲しがるものは、
かなわぬものだと、
あきらめる」
と言う、「わからない節」と言う歌があるけれども、音楽の世界では、そんな権利に関してある程度守られているようだけれども、映画の世界では、全くと言っていいほどない。
そもそも、映画と言うものは、音楽と同様、個人から発するものなのにだ!
これには、本当に腹が立つ。
だから、いまだに、金を出した奴等だけが大きな顔をして、判りもしないくせに、あれこれと注文を出す。
「いいんだぜ、別に。監督の替えはいくらだって利くんだから」
とでも言いたそうに。
まるで、ロボット扱いだ。
つまりだ。
映画監督は、人権を認めて貰えないし、心あるプロデューサーは、いつしか、「ベニスの商人」と化す。
「わかってんだけどぁー。そりゃあ、理想なんだよねぇー」
などと言って、五月蝿い奴は相手にもしない。
手前が、努力もしてないくせにだ!!
それで、映画監督は、こう呟く。
「まあ、いいさ。まあ、いい。それが世の中なんだろう」
で、オシマイ。
つまり、泣き寝入り。
この悪循環が、日本映画だ。

記者会見が終了し、昼食。
ディレクターのフレデリック・メール氏に挨拶する。
すでにこの時、舞台挨拶の言葉を考えていたのだけれども、フレデリックには、内緒にしておく。
昼食後、ピアッツァ・グランデの事務局で、取材があり、3時半に集合と言うことで、ボクらは、近くのカフェで時間をつぶす。
いよいよ、公式上映だ。
「緊張してます! もの凄い緊張してます!」
と、たいして緊張してない顔で、優斗が繰り返す。
彼とボクは、38歳も歳が離れている。
彼の親父よりも、一回り以上も年上だ。
(なのにこのふてぶてしさは何なんだ?) と、思わないではいられないが、とにかく、堂々としたものだ。
この腹のすわりようには、かなわない。

4時前に上映会場「FEVI」に到着。
今年は日本アニメの特集があり、日本勢が沢山現地入りしているので、日本語を話す通訳が、もの凄く沢山いる。5年前は、レグラさん(スイス人の通訳で、日本語がうまい)だけだった。
そのレグラさんも忙しく、日本から来たプロデューサーのIさんに急遽取材の通訳をやってもらったりしたけれども、今年は、そんなことはない。
何せ、日本アニメ特集だ。
通訳は、うなるほどいる!
(と、事務局の人は、言っていた)
で、高をくくっていたのだけれども、何やら様子がおかしい。
会場時間は、とっくに過ぎていて、まもなく、開演。
フレデリックが焦ってる。
「どうしたの?」
と訊いたら、
「通訳が来ない!!」
だと!!
「アホか、お前ら!」
と、頭に来るが、それには、グッと我慢。
フレデリックに同情するが、フレデリックもまだ若いし、インテリだから、大人っぽく、怒鳴ったりもしない。
紳士的に振舞っている。
ボクは、ボクで、上映時間が迫っているのに、舞台挨拶が一向に始まらないので、
「じゃあ、ボクは、もう一服」
と、裏口に出て、タバコを一服。
フレデリックと一緒に、通訳様の到着を待つ。
ようやくやって来られた通訳様は、何と、お抱え運転手付き。
フレデリックが、ほっとした顔をしているので、何かと思ったら、その運転手が、スイスのプロデューサーだと言うから、呆れた。
どこの世界に、プロデューサーに送られて、通訳が来るなんてことがあるんだろう!!
それで、ボクは頭に来てしまい、この通訳様は、全く、信用できない、クソババアだと断定する。
しかし、ボクも大人だ。
そこいら辺は、グッと下腹部に、抑え込んで、優斗と一緒に、舞台挨拶。

「この上映を、ロカルノ映画祭のディレクター、フレデリック・メール氏に捧げます」
と、用意していた、スピーチを、言う。
(これが言いたくて、来たのになあ…。
どいつもこいつも、日本アニメで精一杯で、何が何だか、判らなくなってるんだろうなぁー)
と、日本アニメ特集を恨めしく思った。

「もういい、帰ろう。明日、帰ろう!」
と、奥さんに言うも、奥さんも息子も、夏休み中で、聞く耳はもたない。
「え? 今、何言ったん?」
と、大阪弁が出てきたら、もう、押し黙るしか、ない。
「いや、何でもない」

ボクらは、さっさと、野外のQ&Aの会場に移動。
通訳様が、来て、
「先ほど、拝見しましたが、こちらの人たちには、ちょっと難しすぎたんじゃないですかね」
などとほざくので、ボクは、もう、蹴りでもいれようかと思ったが、これも、大人だから、やめにした。
一般の人から、色んな意見でるのは、いい。
映画の作り手なのだから、裁かれる立場だ。
それは、いい。甘んじて、受ける。
しかし、金も払わず、知った顔して言うこういう輩を、ボクは、許せない。
それは、毀誉褒貶いろいろあるけれども…以前の問題で、客を馬鹿にしているし、作り手に対しても、誠意が感じられない。
「だめだよ、そんなことじゃさ」
と、思う。
お客さんの質問に、いろいろと答え、ホテルに戻る。

まず、赤ワインをこっぷに注いで飲む。
映画の方は好評だった。
それが救いだ。
上映途中から、すすり泣く人がいたりして、亮に感情移入した人がいたようだ。
上映が終わって、拍手が起こる。
今まで、なかったことだけど、ボクや優斗のところに来て、サインや写真撮影を求める人たちがいた。
でも、ボクは、なるべくそう言うことは、優斗にゆずり、ボクは、写真を撮る側に回った。
「スクリーンで観たの、初号の時、以来でしたが、結構泣けますね!」
と、ニコニコ顔で言う優斗。
しかし、ボクは、それどころじゃない。
穴があったら入りたい気分。
映画の上映中、ほとんどずっと、映画に難癖をつけていたのだから。
しかし、赤ワイン一杯を飲み干して、それも忘れることにした。
全ては、後の祭り。
それに清志郎さんの言葉じゃないけど、
「自分の両腕だけで、生きて行こうって人が、そう簡単に、反省してはいけない」
と、言うことだ。