2009/10/20

モニターをにらみ、
「一体、昨日は、何をしていたんだろう?」
と、しばし考える。
「ええと…何をしていたんだったか…」
まだ、思い出せない。
「これは、ひどい!」
と、青ざめる。
「脳に腫瘍でも出来たのか?!
でなくちゃ、昨日のことが思い出せないなんてことがあるものか!」
ぞっとなる。
そんなとき、ようやく、思い出す。
「そうそう。久しぶりにフイルムクラフトに行ったんだったな。Kさんと話したんだったな。久しぶりに、『春との旅』も観たんだったな…」
と、色々なことが思い出されて、ほっとする。
博士の愛した数式」を読んだのは、いつのことだったか?
読んでいるときは、
「そんな馬鹿な!」
と、思っていたけれども、自分があの博士のようになるのも時間の問題なのかも知れないと思い始めたこの頃では、博士のように、思いついたことは、何でもメモすることにしているのだが、そのメモをどこに書いたかが分からず、思い出せないままで終わることもしばしばだ。
いよいよ、『春との旅』が出来上がる。
ボクが、このまま、健忘症に突入するとしたら、きっとこの映画のせいだなと思う。
それぐらい、性も根も尽き果てた。
『ワカラナイ』も似たタイプの映画だったので、その間に、撮影した、『白夜』が、霞んでしまった感じがするが、撮影を終えて、仕上げに入ったころには、『春との旅』の撮影準備もあって、気が狂いそうな状態でいた。
重なったスタッフも大変だったろうが、Kさんもその一人なのだが、あまり大変な風には見えず、飄々としている。
それが彼の良さでもあるのだが、神経性の下痢なんかを起こしているようだから、ボクには、それを見せないだけなのだろう。
「また、糖尿が悪化しました」
と、開口一番云うのだが、彼が真に迫れば迫るほど、なんとなく嘘くさいから、不思議だ。
頑固一徹で知れた師を持つKだが、師からは何も学ばなかったようで、五十を過ぎても、未だに柔軟で、業界を、スイスイとヒラメのように泳いでいる。
しかし、この男、ダメ男が滅法好きで、何かと云うと、あやしい男たちと集っている。
それだけではなくて、騙され、不払いを踏み倒されて、逃げられたりしている。
「でも、いい人なんですよね」
なんて云うもんだから、ワカラナイ。
「また、やられちゃいましたよ。大変ですよ」
なんて台詞を何度聞いたことか!
それでも、次に会うと、へいっちゃらな顔をしているのだから、不思議だ。
ピンク映画の編集をしていた時は、エロおやじとしか云い様がなく、Vシネのやくざものを一手に引き受けていた時は、どこから見ても、ヤクザでしかなく、テレビ局がらみの大作をやっているときは、ブレザーなんか着て、ビジネスマンに豹変する。
まるでカメレオンだ。
陰で、彼のことを「タコ坊主」なんて云う奴がいるのをボクは、知っているが、ボクは、云わない。
愚痴を吐くとき、年下だから、「K」と呼び捨てにするぐらいで、普段は、「Kさん」と、呼んでいる。
ボクは、彼のことを思い出す度に、未だに、『仁義なき戦い』の金子信雄を思い出す。
Kが本物のヤクザになったら、きっとあの役回りだろうなと思う。
泣き落としがうまいのも、似ている。
これで、女にもてるんだから、マメと云うことなんだろうけれども、どうも良くワカラナイ。
いずれにしても、男同士の関係と云うのは、ワカラナイぐらいが丁度いい。
付かず離れずが一番。
流行の「盟友」も、「終生の同士」とまではいかず、所詮、「映画の中で」か、「しのぎの中」でのことなんだろう。
だから、せめて、息子には、沢山友だちを作ってもらいたいものだと思う。
「ダチ」。
「盟友」も要らないし、「親友」なんてのも、要らない。
「ダチ」がいい。
きわどく、切なくてね。
だから、きっと、Kとは、ダチなんだろうな。
いずれにしても、トリュフォーではないけど、午後七時以降は、「男とは会わない」が、理想だ。
「しかしな。
今となっては、遅いよな」
書きながら、ため息が出て来る。
未だにボクは、トリュフォーを女ったらしだとは思わないのだけれども、それが女ったらしの女ったらしたる所以なのかも知れない。
「お前なあ。立派な監督ってのは、家庭崩壊だぞ! それしかないぞ!」
と、盛んに女遊びをするように勧めたプロデューサーがいたが、
「だから、日本映画はダメなんでだ!!」
と、ムキになって怒鳴ったかつてのボクが、懐かしい。
歌っていた時のことを訊かれて、
「やはり、アレですか? 女にもてたかったから、歌やってたんでしょ?」
なんて云われて、激怒して、
「馬鹿野郎! 歌を何だと思ってるんだ!」
なんて、暴れたことを思い出す。
「盟友」も「親友」も、「終生の友」も幻想と知った今、あと、何年生きられるか?
あと、何年、行きたいか?
明日は、健康診断。